2011年 05月 08日
柳澤桂子さんの「原子力発電から離れよう」 |
『世界』6月号で、原発について柳澤桂子さんが執筆されていると聞いて、出掛けに買って電車のなかで読んだ。生命の歴史と原発の経緯が簡潔に分かりやすくまとめられている。
生命にとっては、誕生の時から、放射能と紫外線から受けた傷を治すことが一番大切なことだった。光合成を行う微生物が生まれ、オゾン層ができることで紫外線を遮り、放射能も生物の存在に差し支えないレベルまで低くなり、生物は海から陸へと広がってきた。40億年かけて地球環境を変え、適応して進化してきた。そしてアフリカの一人の女性から生まれた人類は世界各地に広がっていく。人口が増え、今の地球にはそれだけの人口を養うだけの食べ物、水、エネルギーなどがないという報告もある。
人口の増加とともに、エネルギーの需要が高まり、水力や火力発電では社会の需要に対応しきれなくなり、原子力発電の導入に踏み切る。
世界最初の原子力発電所はイギリス、セラフィールドのコルダーホール発電所(1956年)。
日本は1954年に中曽根康弘たちによって原子力研究開発予算が国会に提出され、1955年に原子力基本法成立。1956年に読売新聞社主正力松太郎を委員長として原子力委員会設置。日本初の原子力発電が行われたのは1963年10月、東海村の実験炉によるもの。
前半の内容はこんな感じだろうか。ここまで読んだだけでも、40億年の中で獲得してきた生命にとって快適な環境を、たった50年ちょっとの原子力が危機的な状況に陥れてしまう、そんなものを「平和利用」とは言えないことに気付かされる。長い年月の果てには地球は人類が住める場所ではなくなってしまうのかもしれない。それが地球の自然変化に伴うものだったら致し方ないけれど、制御不可能な核技術によってだどしたらあまりにも愚かすぎる。
後半、原子力発電に変わる太陽熱発電についても触れている。今また電車の中なので、それはまた後程ということで。
生命にとっては、誕生の時から、放射能と紫外線から受けた傷を治すことが一番大切なことだった。光合成を行う微生物が生まれ、オゾン層ができることで紫外線を遮り、放射能も生物の存在に差し支えないレベルまで低くなり、生物は海から陸へと広がってきた。40億年かけて地球環境を変え、適応して進化してきた。そしてアフリカの一人の女性から生まれた人類は世界各地に広がっていく。人口が増え、今の地球にはそれだけの人口を養うだけの食べ物、水、エネルギーなどがないという報告もある。
人口の増加とともに、エネルギーの需要が高まり、水力や火力発電では社会の需要に対応しきれなくなり、原子力発電の導入に踏み切る。
世界最初の原子力発電所はイギリス、セラフィールドのコルダーホール発電所(1956年)。
日本は1954年に中曽根康弘たちによって原子力研究開発予算が国会に提出され、1955年に原子力基本法成立。1956年に読売新聞社主正力松太郎を委員長として原子力委員会設置。日本初の原子力発電が行われたのは1963年10月、東海村の実験炉によるもの。
前半の内容はこんな感じだろうか。ここまで読んだだけでも、40億年の中で獲得してきた生命にとって快適な環境を、たった50年ちょっとの原子力が危機的な状況に陥れてしまう、そんなものを「平和利用」とは言えないことに気付かされる。長い年月の果てには地球は人類が住める場所ではなくなってしまうのかもしれない。それが地球の自然変化に伴うものだったら致し方ないけれど、制御不可能な核技術によってだどしたらあまりにも愚かすぎる。
後半、原子力発電に変わる太陽熱発電についても触れている。今また電車の中なので、それはまた後程ということで。
by peintureE
| 2011-05-08 16:49
| 備忘録
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